マイレール意識
住民の生活そのものが変わる
1981年11月、三陸鉄道株式会社が設立された。岩手県が48%、沿線市町村と盛岡市など周辺市町村が計27%を出炎した自治体主導型の第三セクターである。これによって凍結区間の工事も再開され、その完成を待って廃止3線と新線を同時に引き継いで、1984年4月に盛一釜石間と宮古一久慈間が開業したのである。三陸鉄道の開業は、沿線に新風を吹き込んだ。とくにそれまで鉄道の恩恵に浴せなかった田野畑村などにとっては、住民の生活そのものが変わる大きなできごとであった。鉄道開通前は宮古市の高校へ通うにも下宿をしなければならなかった。それが列車で40分の距離に縮まった。
住民からの支持
田野畑村の高校生は自宅通学になり、進学率も上がった。盛岡へ所用で出るのもかつては片道一日がかりだった。それが三陸鉄道と岩手県北自動車の106急行バスによって3時間程度になった。宮古市や久慈市・釜禰市などの商圏も、三陸鉄道によって微妙に変化している。『悲願』のマイレールも次第に忘れ去られ…このように、三陸鉄道の地域に与えたインパクトは大きかった。地域の人の流動形態は変わり、経済圏・生活圏は変化し教育の充実も達成された。だからこそ沿線住民の支持も強く、『悲願』であったこととあいまって強い「マイレール意識」が生じた。